荒浜栽培状況
2017.07.10
東日本大震災で甚大な津波被害を受けた、仙台市若林区荒浜地区。何もかも流され地域の農業も一からの再生となりましたが、震災から6年たって圃場整備も進み、青々とした田んぼや畑が広がっています。
荒浜では震災の直後、2011年5月に初めて綿の種をまきました。被災した生産者さんたちが試行錯誤しながら栽培、その後本格的な農業を再開するために農業生産法人「荒浜アグリパートナーズ」を作り、稲作を中心に農業で自立の道を歩んでいます。綿花は復興のシンボルとして、地域との交流を続けながら続けています。
ここ数年、荒浜で綿花栽培を担当しているのは、荒浜アグリパートナーズの佐藤準さん。名取農場の成功を受けて、栽培方法を相談しながら着実に成果をあげています。
「今年は去年より広くなり、2反7畝(約27アール)で育てています。3月最終週から種まきをして、ゴールデンウィークに定植。綿関連でつながっているボランティアさんがいて、東京や京都、神戸から手伝いに来てくれました」(佐藤さん)
湿害にあって育っていないところもあり植え直しを行い、追肥もして、この2週間くらいでずいぶん大きくなったとのこと。取材にうかがったのは7月上旬ですが、あと10日くらいで花が咲くのでは、というところまで来ていました。
荒浜では地域の小学校、中学校が定期的に訪れ、草取りや収穫の手伝いをしています。これまではその体験をイベント的に行っていましたが、今年からは収穫量も重視して、収穫時期を考えていくとのこと。昨年30キロだった収穫を、今年は200キロの目標を立てています。荒浜の畑が綿で真っ白になる日が楽しみです!
荒浜地区で住民の方が避難した仙台市立荒浜小学校は震災遺構として保存され、2017年4月から一般公開されています。建物内は被害状況や地域の歴史や思い出などを伝える展示があります。沿岸部の集団移転跡地では、震災の記憶や経験を継承し、地域に愛される水辺空間を生かす土地利用の計画も進められているといいます。東北コットンとのかかわりは、震災と復興を見続けていくきっかけにもなっています。