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仙台東部地域綿の花生産組合 佐藤正己さん

地域のコミュニティを、また新たに作らないといけないというしんどさがあります。

震災から1年以上経ちましたが、厳しいですね。かえって避難所時代よりも。というのは、各世帯で、だんだん生活が違ってくるじゃないですか。若い人が、いるいないで収入の差も歴然です。そこが一番、分かりやすいところですよね。それに、何年もお茶飲みして、仲よくしていても、逆に知りすぎている人には会いたくないという状況も出てくるんです。それぞれの条件によって、仙台市が提案するABCDの地域に分かれ分かれになりますからね。地域のコミュニティを、また新たに作らないといけないというしんどさがあります。

たとえば、子ども世帯が「今度俺たち家を建てるから、新しい団地に移ろう」と、よかれと思って親を呼びます。しばらくしてその家を訪ねると、お年寄りは、気軽に話しかけられる人がいなくて、病院に入院しているか、もしくは新しい家でお葬式をやってもらっている。そんなことを被災前からもたくさん見てきました。いかにコミュニティが大事かというのが私にはわかります。

仮設住宅のお年寄りを畑に連れていったら、全然表情が違うの。お年寄りを土の上にもう1回返したい。

荒浜には、戻れないです。もう危険区域として指定されましたから。昔、遊んだ場所が、若い時に見ていたロケーションがない。松林がない。荒浜の写真を見ると涙が自然に出てくる、それは多くの人から聞きます。それはそうですよね。何十年と過ごしたところの風景がないんだもん。

だから今の70代、80代の人はほんとに毎日が辛いですよ。昔のコミュニティを大事にして、周りの人達が気づかっていかないと、年寄りは確実に終わっていきます。

玄関を開ければ、すぐ土、すぐ畑っていう生活ばっかりでしたから。アパート住まいとか、都会じみた生活に慣れていないから。お年寄りを土の上にもう1回返したいんです。

去年綿花栽培が始まったとき、仮設住宅のお年寄りを畑に連れていったんです。そうしたら、全然表情が違うの。温泉にでも行ったような笑顔でした。昔取った杵柄で、草はこうやって取るんだって若い人たちに教えたりすれば、役割がまだあるって気づくんですよ。今度行くときは、ああ、あの人たちに教えないといけないなって思う。これ持ってきたよ、若い人食べてって漬け物を持って行くのが理想的。そうすると、3日も4日も前から一生懸命やると思うんですよ。

だから綿花のことをもっとみんなに理解してもらって、お年寄りが気軽に行きやすい環境をつくらないと、と思います。みんなが知っていて、「ああ、あの綿のところに行くんだ」というふうに、早くなるようにしたいんです。

目的はひとつ、成功するだけ。まだまだ荒浜にも、オンリーワンを好む世代はいるんですよ。

私自身は、最初から農業をしながら、ネクタイを締めて会社勤めをしていました。会社に通いながら、天気を心配しながらの生活で、会社には迷惑かける、作物に迷惑かける、そういう世界で何十年もきたんです。

元々渡邉さんが近所で、被災前からいつまでも百姓こんなやり方ではだめだ、なんとか儲ける商売にしないといかん、とずっと話していたの。こっちもあっちも中途半端は嫌だったので、もうそろそろどっちかにしよう、と思っていた矢先の大震災でした。そこでたまたま巡り会えたのが綿花なんです。

わたしはここの綿栽培じゃないと出来ないことをしたい。オンリーワン、ですね。それには、若い人達の頭が必要なんです。それぞれの得意技を生かしてほしい。

農家はほとんどが、結果を見るんですよ。こんな新しい作物作ったといっても、何そんなもの、と言われる。ところが立派なのが出来て高く売れたら、じゃあ俺も、とまねをする。まず結果を見せてからの話ですよ。そんなに難しいことはない。目的はひとつ、成功するだけ。そのためのプロジェクトチームなので、最大限のことはしましょう。まだまだ荒浜にも、オンリーワンを好む世代はいるんですよ。

(2012年6月5日)