活動レポート東北コットンプロジェクトの活動レポートです。

2015年種まき

2015.05.23

東日本大震災から4年あまりが過ぎました。東北で綿花を育てる3ヵ所の栽培地も、それぞれの目標に向かって歩み続けています。

津波被害が甚大であった仙台市若林区荒浜。荒浜で被災し、綿の栽培を担ってきた方々は、今では荒浜アグリパートナーズという地域の農業を担う会社を立ち上げ、荒浜の農業再生に向けて始動しています。すべてが流され何もなかった場所は、今では美しく整備された田畑が広がっています。荒浜の方々も、ようやく仮設住宅から復興公営住宅に転居するなど、生活再建が始まったところです。きっかけとなった綿花栽培から、米・大豆中心の本格的農業へと、あらたな段階へ進んでいます。荒浜アグリパートナーズ代表の渡邉静男さんは、
「復旧が進み大規模面積の米、大豆などを今年から栽培できることになりました。今年は、ワタは小規模ながらモニュメント的につながりを作りつつ、本来の本業である米と大豆に力を入れていきます」と話します。
栽培は「これまで手伝ってくれた方々や学校、仙台市内で綿花に興味のある方などに管理していただくようなかたちをとれれば」とのこと。地域のみなさんの力で育つ「荒浜の綿」、これからも応援していきたいですね。

綿花栽培に関して、もっとも実績をあげている名取市の耕谷アグリサービスでは、今年も収穫量を増やすために、綿花担当の佐々木さんが研究を重ねています。実は、栽培面積自体は、昨年の1ヘクタールから60アールと少し少なくなりました。しかしこれにも収穫増のための工夫だそうです。
「狭くなっても、植える本数は昨年と同じです。初年度、2年目は木が大きくなりすぎてしまったので、3、4年目は間隔をあけました。しかし今年はかえって本数を増やして木を大きくしないようにコントロールしようと思います」(佐々木さん)。
また昨年はビニールハウス内で育て、収穫も多かったようですが、今年は露地での収穫増をめざしたいとのこと。
「ハウスだったらどこででもできるけど、綿が育つ北限と言われてますから、やっぱり露地でできてこそ成功といえるでしょう。そのために、ギリギリをせめていかないと」と、佐々木さんの情熱には頭が下がります。今年5月は高温で雨が多かったため、害虫も増えてしまったとのこと。なかでもネキリムシとよばれる虫が根っこをかじり、定植した苗700~800本くらいが被害にあってしまったそうです。補植用の苗だけでは間に合わず、欠株したところに種をまいて対処したそうで、大変なご苦労をされています。
そんな努力のおかげで、いままでで一番早く7月3日に開花が始まったそうです。11月の収穫が本当に楽しみですね!

綿花の種まきは、栽培が始まって以来の恒例行事ですが、今年プロジェクトが参加したのは東松島農場です。代表赤坂芳則さんからは、東松島は石巻に次ぐ大きな被害を受けたこと、農場の先にある東日本大震災最大級の仮設住宅では、当初3年で出られると言われていたが5年経っても行き先が決まらない人たちもいることなど、現地の状況をお話しいただきました。「ここを被災者の癒しの場所にしたい」、東松島農場はそんな思いですすめられています。綿畑のとなりには、近隣の栽培グループが手がけるラベンダー畑があり、夏、秋には綿とラベンダー両方の花が咲く予定です。東松島では大曲の小学校、野蒜地区の栽培グループなど他でも綿花栽培しているところがあって、東松島全体で2ヘクタール以上と、東北では最大規模の綿花栽培地になっているそうです。
今年の綿花畑は約80アール、ビニールハウス300坪でも栽培する計画です。念入りに準備したという畑は、朝耕したばかりで土はふかふか。お天気もよく、まさに種まき日和でした。ベテランのメンバーたちが率先して準備、種を紙コップにわけ、種をまく位置を示す印のついたロープの両端を持って畑を移動、てきぱきと作業が進められました。
東松島の綿花栽培は、ボランティアの力が欠かせませんが、プロジェクト以外にもたくさんの方々がやってきてくれているそうです。特に全国各地から中学生、高校生が修学旅行の一環として手伝ってくれるそうで、頼もしいですね!

それぞれのかたちで、東北の綿花は今年も育っています。3ヶ所の栽培地のみなさんは、「いつでも見にきてください」と言います。東北に行く機会があったら、立ち寄ってみてはいかがでしょう。