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宮城県農業高等学校 阿部 由 先生

学級活動として、綿花栽培に取り組んでいます。

津波から1年経った頃、うちの学校の別の教員のところにプロジェクトの話が来ました。メンバーの中に、同じ大学出身の方がいたそうです。それで名取の種まきに農業クラブの代表数名を連れて行ったという話を聞いて、私は荒浜の種まきに行きました。実際に体験し、プロジェクトの内容にも共感して、ぜひ担任しているクラスとして参加したい、と申し出たのです。現在農業園芸科3年2組の学級活動として、綿花栽培に取り組んでいます。

学校は今、宮城県農業大学校の敷地内にある仮設校舎に移転しています。元は名取市の沿岸部にあり壊滅的な被害を受けました。震災の日は春休みで、部活動や農業実習に来ている生徒が校内にいました。学校は敷地が広く、生徒たちは校庭や体育館、農場などばらばらにいたので、揺れが収まってから教員が走って生徒たちを呼び集めました。全員が校舎に集まったときには、田んぼから水が吹き上がっていたんです。これは異常なことなので、その後の対策について検討し、とりあえず学校に残って様子を見ようと決定しました。既に電気も通らなくなり、携帯でテレビをみたら大変な状態になっている。1階の保健室からベッドや毛布を回収しているとき、津波が来た、という叫び声が聞こえ、急いで階段を駆け上がり下を見たら、1階は全て津波に飲み込まれていました。

学校に残った生徒職員200名弱は、全員無事でした。その夜はカーテンを破って床に敷き生徒を寝かせ、翌日の午後、水が膝の高さまである中、両足にゴミ袋を履いて学校を出ました。ほとんどの生徒がすぐには家に帰れず、近くの避難所に向かいました。

少しでも地域の方々に貢献していきたい、クラス全体で実践を通して学んでほしい。

学校は寮もあり、県内いろいろな所から来ているのですが、ほとんどの生徒がなんらかの被災をしました。学校が再開したのは5月ですが、教員が携帯を使って生徒に連絡したり、他の高校の体育館を借りて定期的に全校集会を開いたりしました。学校が始まってクラスのみんなには、今はやっぱり生きよう、ということしか言えませんでしたね。その後多くの支援や励ましがあり、それに報いるためにも普段の生活を一生懸命頑張ろう、という話をしました。実際に、多くの生徒が地域でボランティアに参加していたと聞いて感心したのですが、いろいろな人と接したり、色々な仕事をしている方と出会う経験が増えたと思います。

外部の方から、何かをやってほめられるというのは、生徒にとってとても自信になります。学校でも1年生の授業のときに、生徒たちが栽培し収穫した農産物を、名取の閖上で販売するという販売実習があるのですが、そこで「ありがとう」「おいしいね」と言われて、販売の仕事に就きたい、という生徒もいました。だから今回津波の被害を受け、被災者ではあるけれど、少しでも地域の方々に貢献していきたい、クラス全体で実践を通して学んで出てほしい、という思いがあって、参加することになったのです。

クラスで1つの目標に向かうことに意義がある

クラスでは「一人一鉢プロジェクト」と言って、全員がポットに種を蒔いて育てています。前の校舎で被災した土を持ってきて、名取、荒浜と同じ条件にして、苗を植え付けました。1人1本栽培し、綿花が出来たらプロジェクトに贈呈します。育っている様子や、コットンプロジェクト関係の写真、いただいたメールやボランティア募集など、生徒たちが模造紙に貼って教室に掲示しています。先日は数名が荒浜の方に草取りのボランティアに行き、みんなから「ありがとう」と声をかけられ、行ってよかったと前向きな言葉が聞かれました。保護者も、いい経験ができて感謝している、と言ってくださる方が多いです。

こういった活動は有志の生徒を募ってやることが多いのですが、私はクラスで1つの目標に向かうことに意義があると思っているのです。今は同じベクトルを向いてない生徒もいるかもしれないけれど、長い時間をかけてわかってもらえればいい。クラスの中にはまだ不安を持つ子もたくさんいるのですが、そういう子も今回は外部に出て、色んな人と接して成長してもらいたい。自分の専門性を活かして、人に与えることを、長いスパンの中で学んで、今後の生徒たちの人生に活かされればいいのかなと思っています。

(2012年7月18日)