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クルック 江良 慶介さん

被災した人達の生活が、少しずつでも良くなっていくことをやりたかった。

3月末頃、「クルックって、震災のために何かやっているんですか」と、ユナイテッドアローズ(UA)の沼田さんから電話があったのが、僕にとっての始まりです。ap bankでボランティアをしたりしていましたが、せっかくプレオーガニックコットン(POC)というつながりがあるから、みんなで何かできたらいいですよね、考えましょう、という話になり、勉強会を始めたんです。POCきっかけでUAとアーバンリサーチ、それからリーの細川さんに声をかけ、4社でスタートしました。

当初は、被災した縫製工場で製品を縫ってもらい、それぞれの店舗で売ろうかとか、何か買ってもらうときにその製品をプレゼントしようか、といった話をしていました。明確だったのは、被災者の仕事になることにしよう、ということ。一過的なチャリティでなく、被災した人達に雇用が生まれ、被災者の生活が少しずつでもよくなっていくことをやりたかったんです。

そして、5月10日のコットンCSRサミットです。近藤さんの話を聞いた瞬間、これだ、と思いました、自分の中で。僕らは3月末から1カ月話していても、これはというアイデアがなかった。何が入り口で、何がきっかけでやるという具体的な活動が見つからなかったのが、一瞬にしてこれをやろうと。帰り時間まで待って、近藤さんに「僕にもやらせてください」と話し、「おう、じゃあやろう」と言ってもらって。翌日にみんなで全農へ行き、そこからは急速に進んでいきました。

現地の人達がやりたいことをしないと、意味がない。

最初の話は「3年綿を育て、農地を除塩する」ということでしたが、実際に農家さんのニーズに向き合っていくと、その目的も変化していきました。全農さんの紹介で農家さんをあたると、必要ない、米を作れるから別に見たこともないような綿はいい、という返事もありました。現地の人達がやりたいことをしないと、意味がないですよね。

でも荒浜は津波の被害が特にひどかったから、「そういうことをするなら、3年間で米に戻すのではなく綿に転作しよう」と。米も産業としては厳しい時代だから、新しい産業、新しい可能性に賭けて、このボロボロになった場所で新しい産業を作ろう、というところまで覚悟決めるんだったら一緒にやろうよと言われたんです。それを聞いたら、はじめに描いていた話とは違うけど、もう後には引けないですよ。そこで、このプロジェクトの性質が変わったんです。

面白い仕事は何かのためになるし、それは社会のためにもなる。

クルックは、このプロジェクトの事務局になっています。5年、10年かけて続けて成り立つためにはブランド化していかなければいけないし、ブランド化するためには、参加企業が一体となって行動していかなければいけない。誰がとりまとめをやるかとなったとき、僕たちがPOCという素材ブランドを運営している経験があるというのがひとつと、あともうひとつは、僕が個人的にやりたかったということです。このプロジェクトは面白いんです。面白い仕事はやりたいし、面白い仕事は何かのためになる。それは会社や社会のためにもなる。だったら、中にいた方がいいじゃないですか。

僕は、農業的な知識もないし、アパレルのスキルもありません。ただ、事務局としてみんなの話をみんなより長い時間聞いているので、一番状況が見えていると思います。僕はそれが得意だと思っていて。

震災から立ち直っていくことを、ビジネスを通して、サスティナブルに動かしていく。世界の中でも、先進的なプロジェクトだと思う。僕は、僕が震災に対し微力ながらできる支援として、このプロジェクトよりいいものを思いつけないです。

(2011年11月26日)