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仙台東部地域綿の花生産組合 庶務 松木 弘治 さん

ポンプ場の管理の仕事をすることが決まっていた。その矢先の、震災でしたー

元々仙台のゲーム関係の会社に勤めながら、実家の田んぼで米を作っていましたが、3年程前遠方に転勤することになったんですね。離れてしまうと田んぼの管理もできない。それで会社を辞めて戻ってきて、本格的に農業を始めることにしたんです。仙台市から委託を受けて、4月からポンプ場の管理の仕事をすることが決まっていた。その矢先の、震災でした。

あの日は、大きい地震が間を置いて2回来たんですね。最初の揺れのときに物がかなり倒れて、片付けているときに、また揺れた。これはおかしい、ただごとじゃないと思ってラジオをつけたら津波警報が出ていた。それで両親を説得して、小学校に無理矢理連れて行ったんです。何もなかったら戻ってくればいいからって。津波が来たのはそれから1時間ほど後でした。小学校の3階から一部始終を見ていましたが、家が土台を残して全部崩れていく状況でした。一番印象に残っているのは、お寺の本堂の屋根が学校の前を、ゆっくりと流れていた光景。あれはなんともいえなかったですね。

だけど、俺がもし家にいなかったら、おそらく親父やお袋は避難せずに家にとどまっていたと思う。連れ出せたのは、俺が会社を辞めて、家に戻ってきていたから。そういう運命だったのかな、と思うんですよ。

自分の田んぼや畑を維持管理できれば、おのずと農作業を続けられる。

プロジェクトに入ったのは、渡邉静男さんに話を持ちかけてもらったからです。元の家がすぐ近くで、仮設住宅の中の公園で一服する仲間だったんですよ。年齢も違うし、そんなに話したことはなかったんですが、話がぽんぽんと進んで、すぐ集まったのが、5人。これも巡り合わせというのかな。

最初、綿に対してのイメージは全然持っていませんでした。ただ、機械から用具から全て流されたので、どうやって続けていけばいいのか、というところでのお話だったので、是非やりたいと思ったんです。農作業をやって、自分の田んぼや畑を維持管理できれば、おのずと農作業を続けられると思い、やりますと返事をしました。

そういう意味でも、精神的にも救われました。静男さんには感謝ですよ。やることがあるっていうことは大事だね。今年は綿だけじゃなく、ほかの農作物もやらなきゃいけないし、プレッシャーをかけられていますよ(笑)。

ポンプ場の仕事は今年の4月から始まりました。震災で壊れたポンプは、縦軸横軸あるうちの縦軸は仕上がっていて、あとは横軸が直れば水がドッと流れる状態にまでなりました。田んぼは排水堀がなおらないとどうしても水が抜けませんから、それがまず第一ですね。

綿ができているところを見てもらって、その一役を担ったという気持ちを持ってもらえたらうれしい。

先日、仮設住宅と交流のある南小泉小学校で綿の種を植えました。子ども達に育ててもらい、コットンボールが付いたら持ってきてもらうという取組みを始めたんです。子どもたちは、何の種をまくんだろうってわくわくしていました。今度は夏に学校のみなさんが、田んぼの草取りに来てくれるそうです。綿ができているところを見てもらって、その一役を担ったという気持ちを持ってもらえたらうれしいよね。こうやって気持ちがつながって、じわじわと広がっていけばいいですね。

1年経って、もっと前向きになりました。現状、収入がない状態ですが、もうすぐ農業法人を立ち上げることになったので、やはり一歩前へ、という気持ちです。本当にものごとって、始まるとどんどん進んでいくんですね。つくづく思います。

(2012年6月6日)