2016.11.02
プロジェクトでは5年目となる2015年度の栽培においてそれまでで最大の収穫量を達成しました。中でも名取では東北で初めて露地で一面まっしろな綿花畑を実現。露地での最大収穫率(312kg/60a)をもって、産地化のためのプロジェクト栽培目標を達成したと考えます。
継続的な栽培方法の確立により商品形態の選択肢も増え、発展が期待される中、2016年度も名取・荒浜・東松島で約160アールでの栽培が行われています。
露地作付面積 | 年度収穫量 | |
---|---|---|
2011年度 | 160a | 100kg |
2012年度 | 800a | 457kg |
2013年度 | 280a | 377kg |
2014年度 | 180a※ | 300kg |
2015年度 | 160a※ | 550kg |
※印は別にハウス栽培もあり
「塩害で農業ができない農家さんに、代わりの作物として塩に強い綿花栽培をしてもらう」
それが2011年栽培当初のきっかけでした。震災直後はとても栽培ができなかった稲作。その代わりとなる収益を農家さんにもたらすため、手探りでのコットン栽培が始まったのです。
結局初年度は全てのコットンを開かせることはかなわず、海外の産地のように期待された白い綿畑は実現できませんでした。それでも開かない実の中から収穫をしてプロジェクトとして買取り、少ない混率で紡績・製品化に成功した経緯があります。
2012年以後、被災農家さんたちは稲作を少しずつ復活させていくと共に、プライドをかけてコットン栽培に取り組みました。日本での気候にあった綿花栽培方法を独自に模索し続け、栽培をみごと軌道に乗せてくれたのです。
多くの人の手に渡る製品づくりのために、混率は今も多くはありません。しかしコットンの100%を輸入に頼ってきた日本で、これまでになかった新しい素材として、「衣類」「生地」の原料としてだけでなく、「地場特産品」や「観光資源」としても、また被災農家さんによる復興のしるしとしても根付いていくことが期待されています。
ここで参加メンバー企業である株式会社ハクサンからプロジェクトでの綿花の栽培について解説を頂きました。
ハクサンは世界中から新規性のある園芸植物をあつめ、主に園芸農家、販売店に卸す愛知を拠点とした法人です。プロジェクトでは当初の花壇苗の提供から、今では栽培のアドバイザーとしても活躍頂いております。
これまで東北地方での綿花栽培は不向きと言われてきました。
その主な理由として、東北のような寒冷地の栽培には快適な温度と、収穫までの十分な栽培期間が確保できないことが挙げられます。また、名取や荒浜のように沿岸に吹く強い風は、倒伏ストレスを受けて生育が妨げられ、収量に影響を及ぼすことが分かってきました。
一方で耐塩性を持つ綿花は津波によって引き起こされた塩害土壌にも適応できました。さらに育苗を工夫した生育方法の確立により栽培を成功に導いたことは、収量が物語っています。これまでになかった東北の農業形態として、新たな可能性が見出されたのです。
日本の東北地域で収穫量を増やすための取り組みにより、2つの成果を挙げることができました。
まず一つ目は、不足する栽培期間を補う方法として、ビニールハウスで育苗を行い初期生育を確保したことです。これにより約2か月分の栽培期間を確保できたことになります。
二つ目は、摘心を行うことで枝数を増やしました。枝数を増やすことはつまり花数を増やすこと。結果として収穫量を増やすことにつながります。さらに、摘心の効果は株丈を低く抑えられて風の影響を受けにくく、倒伏防止にもつながります。
国土面積が小さく、そのうち約7割を森林が占める日本において単位面積当たりの収量を増やすことは、課題と言えるでしょう。綿花の自給率アップの観点からも既存の産地だけでなく、東北エリアにも拡大して新たな産地形成を目指すべきであり、また将来的に温暖化によって東北が有利な栽培地になる可能性も展望として有意義であると考えます。
プロジェクトの現地農家さんたちは、日本での本格的な綿花栽培の北限を更新できたと言えるでしょう。またプロジェクトはチームとして、糸を紡いだり製品を作ったりとそれぞれ役割を担い、これまで東北になかった作物の姿を作り出しました。
私はプロジェクトで初めて東北へ向かった時に見た、虫もカエルも、生き物の姿がない被災地と呼ばれた田畑を覚えています。そこでコットンが実り、人のつながりが生まれ、プロジェクトが更に充実するこの先を皆さんと見続けていきたいです。
株式会社ハクサン 小宮山公